休みの日に何もしないことに罪悪感を感じる人は、少なくありません。筆者ももちろん感じたことはあります。しかし今は感じることは、ほとんどありません。
その理由については、この記事に書いてありますが、最初に答えを書いておくと以下のとおりです。
・「何もしないこと」を選んでいる
・いまに集中している
・やったことを数えている
何もしないことを自ら選び、今という時間に夢中になっている。そして、やらなかったことに焦点を当てるのではなく、やったことを数えると罪悪感はなくなります。
休みの日に何もしないことに罪悪感を感じるのはナゼ?
それでは早速ですが、休みの日に何もしないことに罪悪感を感じるのはナゼだと思いますか?
一週間のうち休日は2日間だから
休みの日に何もしないことに対して罪悪感を感じる理由は、時間は有限だからです。
もし10日間連続で休みがあったとして、そのうち1日、いや2日ぐらいは別に何もしなくてもいいかと思うのではないでしょうか?
3日、4日ぐらい何もしなくても、とくに何も思わないかもしれません。
多くの人は一週間に2日間のお休みがあり、休みは貴重なものであると考えています。2日間という限られた時間。だからこそ「何かしなくては!」と、何もしないことに罪悪感を覚えます。
・時間は有限
・時間はお金で買えない
・Time is Money(時は金なり)
など、世の中には、時間は貴重なものだから無駄にしてはいけません!と訴える言葉があります。
時は金なりだとしたら、休日に何もしないことは、お金を捨てているのと同じぐらいのこと、と無意識に思ってしまうのかもしれません。
だとしたら、何もせずに過ごすことに罪悪感を覚えるのは当然でしょう。
しかし人の幸福度を上げるのは「しなくちゃ」ではなく「したい」でやることです
休みの日に「何かしなくては」と義務感で行動するのではなく、休みの日に「したい」ことがあることが幸せなのです。
やりたいことを書き出してみる
もし休日に何もすることがないなら、まずはノートとペンを用意して、やりたいことを100個書き出してみましょう。
「できない理由」を考えず、すぐできることから、そうでないことまで、書き出す。
ただ、日頃から我慢をするクセや、「しなきゃ」やメリットで行動したり、選んだりすることが多いと、自分の「やりたい」ことがなかなか出てきません。
コンビニでスイーツを買うにしても「こっちの方が安いから」と、本当は食べたいものじゃない方を選んでしまう。
そういう習慣がついていると、「やりたいこと」が心の奥のほうへ押しやられて、なかなか表面に出てきにくいかもしれません。
だからこそ100個書く!ずーっと考えていると「あ、あれもやりたかったんだ!」と出てくると思います。
そして、その「やりたいことリスト」のなかで、今すぐできることをやる。もしくは、やりたいことについてネットで検索するなどして、何かしらアクションを起こしてみましょう。
休みの日に何もしないことに罪悪感を感じない人もいる
世の中には、休みの日に何もしないことに罪悪感を感じない人もいます。罪悪感を感じる人と、そうでない人では何が違うのでしょうか?
休みの日に何もしないことを自らの意思で選んでいる
筆者も、とくに予定のない休日、友人に誘われたけど、乗り気になれず誘いを断ることがあります。
「何もしないより、行ったほうがよかったかな」と思ったこともありましたが、「行かない」ことを自分で選んだのです。
自己決定することが幸福度をあげます。
休みの日に何もしないことを、自らの意思で選んだ、そう考える人は罪悪感を感じません。
そもそも「自らの意思で選んだ!」とわざわざ考えているわけではなく、「何もしない」ことを「したい」と思って、選んでいます。
休みの日にひとつだけテーマを決める
「休みの日にやることがない」と言う人に、筆者が提唱しているのは「ひとつテーマを決める」ことです。
・この休日は人を呼べる部屋にしよう
・この休日はおいしいパン屋さんへ行こう
・この休日はつぎの旅行で行きたい場所を探そう
そして、この休日は何もせず徹底的にダラダラしよう、というのもひとつのテーマです。
こうしてテーマを決めると、意味のあるダラダラになるんですね。
自分の意思で、徹底して何もせずダラダラ過ごすことで、自分を休ませてあげています。
休みの日に何もしないのではなく、必ず何かをやっている
休みの日に何もしないと言いながら、必ず何かをやっていることには気づいていますか?
休みの日は「大きな何か」をしないといけない?
休みの日だからと言って、どこかへお出かけしたり、自分のためになることをしなければ、「何かをした」ことにはならない。
そう思っている人が多いように思います。
休みの日に何もしないと言っても、必ず何かやっているはずです。
・テレビを観た
・食事をした
・寝た
・SNSを見た
・YouTubeを観た
筆者は今さら『あまちゃん』にハマり、つい先日のお休みは、ほぼ一日中『あまちゃん』を観てダラダラしていました(二日目はさすがにドラマ疲れもあり、途中で読書に切り替えましたが)。
その日は、もちろん食事もしました。
よく考えたらラベンダーの香りの入浴剤をいれたお風呂にも入って、心地のいい時間を過ごしました。
何もしないと言いながら、じつは何かをやっていて、食事から「おいしい〜!」という感情を味わったり、YouTubeをみて「面白い〜!」「癒される〜!」などの感情を味わっています。
人が欲しいものって結局、感情だと言われます。
どこかへ行くことで「楽しい」という感情を味わいたい。「楽しい」と感じられないような場所には行きたくありませんよね。
休みの日に「どこかへ行った」という事実だけ欲しいのなら別ですけれど。
いまに集中することが幸福度をあげる
幸福度の高い人は「いまに集中」している人であり、反対に幸福度が低い人は、心ここにあらずの状態の人です。
朝起きてコーヒーを飲むなら、ただコーヒーを飲むのではなく「おいしい〜」と味わって飲む。
お風呂に入りながら「はぁ〜気持ちい」と感じる。
こうして、今という時間に集中することが幸福度を高めることになります。
休みの日にテレビを観るなら「あー、休日なのにダラダラとテレビ観てる…」と罪悪感を感じながら観るのではなく「やば!面白い!」とテレビに集中する。
食事をしながら「もうお昼だ…やば」と罪悪感を感じず、「このパン、めっちゃおいしい!」と味わいながら食べる。
これって結構、幸せな休日ですよね?
やったことを数えることが幸せにつながる
年末になると「今年も〜〜できなかった」「今年も〜〜しなかった」と、やらなかった事に目を向ける人がいますが、本当は年末こそ、その年にやったことを数えるべきです。
やったことってたくさんあるから。
途中でやめたとしても、トライしたことがすごい。
同じように、休みの日に何もしなかったのではなく、やったことを数えてみる。
ただSNSを見ていただけだとしても、
・可愛い洋服を見つけた!
・推しの写真が愛おしかった!
・心にひびく言葉に出会った!
など、よくよく振り返ってみると、何かしら得ているものがあると思います。
人は目ではなくて脳で見ていると言われます。脳が見たいものを選んでます。だから「何もしていない」と思っていると、「している」ことが見えません。
可愛い洋服を見つけたことも、なかったことになってしまう。
言葉にひびいたはずの言葉も、すぐに忘れてしまいます。
休みの日に何もしない自分はダメだ…と罪悪感を感じるまえに、やったことを数える習慣をつけたいですね。