楽な方を選ぶのをやめると人生が面白くなる

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楽な方を選ぶのをやめると人生が面白くなる

「できるだけ楽に生きたい」と思うのは、誰にでもある自然な気持ちだと思います。

無理をせず、がんばりすぎず、ほどよく力を抜いて生きられたら——それがいちばん幸せなことのように感じます。

けれど、「楽でいたい」という気持ちを追いかけすぎると、いつの間にか心の動きまで小さくなってしまうことがあります。

たしかにトラブルも減り、穏やかに過ごせるかもしれません。
でも、気づけば毎日がどこか平坦で、心が動く瞬間が少なくなっていく。

かつての私はまさにそうでした。

oto

この記事を書いた人:oto

東京を拠点に、明日がちょっと楽しみになるおでかけや日々のヒントを発信。Amazon Kindle総合2位・エッセイ部門1位『わたしをご機嫌にする休日』をはじめ、6冊を出版。Yahoo!ニュース エキスパートでは「おでかけ記事」を執筆中です。JFN系全国28局ネット「レコレール」に出演し、東京の穴場スポット紹介も。

目次

楽することばかりを選んで意欲を失った過去

「ゆるく生きましょう」ブームが来ていた頃、その意味を履き違えた私は、楽をすることが正しいと思い、どうすれば楽できるかばかり考え、楽な方を選び続けていました。

仕事も楽で、トラブルもなく、人間関係のストレスもほとんどない。
それは一見、理想的な環境のように見えました。

そんなある日、なんだか心の調子が悪いことに気づきました。
いや、正確には——気づいていたのに、見て見ぬふりをしていたのです。

いよいよ「これはさすがにおかしい」と思い、ネットで調べてみると、「自律神経の乱れかもしれません」という言葉が目にとまりました。
気になって、自律神経の状態を測れるという場所へ行ってみることにしたのです。

その機械は、自律神経のバランスだけでなく、ストレス値も測定できるものでしたが、私のストレス値は計測してくれた方も驚くほどの低さでした。

「ストレスがほとんどないなんて最高じゃない?」と喜んだのも束の間、あまりにストレス値が低すぎるのは、意欲の低下が疑われると伝えられました。

ずばり、その通りでした。

そして、自律神経の結果も、想像とは違うものでした。

夜なかなか眠れない私は、「交感神経が働きすぎているに違いない」と思っていたのに、実際は真逆。お昼なのに、副交感神経が優位という、いわばオフモードの状態。通常なら日中は、活動的になる交感神経が高い時間帯です。

そう、楽な方ばかり選び続けた結果、心も体もすっかり休みモードに入り、やる気のスイッチが入らなくなっていたのです。

このとき自律神経を測りに行って、専門の方に説明してもらわなければ、きっと気づかないままだったと思います。

この出来事をきっかけに、私は「楽をすること」と「心地よく生きること」は違うのだと、身をもって知りました。

楽する方を選ぶほど人生はつまらなくなる

できるだけ楽をしたいし、効率よく生きたい。
それ自体は悪いことではないと思います。

私も料理をするのが好きですが、手を抜くところは思いきり抜きますし、時間がないときは、お惣菜を買うこともあります。

ただ、あまりに毎日手を抜きすぎると、やっぱり料理が楽しくないのです。

あっという間にクリアできてしまうゲームがつまらないように、「楽」って、つまらないのです。

「アリ10匹がなにかを言っています。なんと言っていますか?」レベルの問題ばかりの謎解きゲームがあったら、お金を払ってまでやりたいと思わないですよね。(これは謎解きというより、ただのなぞなぞですが)

脳は「エネルギーを節約する」ようにできていると言われます。
考えなくても済むルート、慣れたルートを選びたがるのは、生き延びるための本能。

けれど、それは同時に「生きる実感」を薄めるメカニズムでもあります。

たとえば、休日の過ごし方を思い浮かべてみるとわかりやすいかもしれません。何も考えずにSNSを見ていたら、気づけば1日が終わっていた。

その瞬間は楽だけれど、「今日、何をしたっけ?」と振り返ると、ほとんど記憶に残っていない気がします。

一方で、ちょっと遠出して見た景色や、手間をかけて作った料理、勇気を出して挑戦した出来事は、たとえ疲れても、心の中にしっかりと残ります。

そこには、自分が動いた実感があるからです。

楽をすることは、結果的に感じることを減らしていきます。感じない日々が続くと、たとえ便利でも、どこか退屈でつまらない。

それが、わたしたちの人生から「面白さ」が消えていく理由なのです。

「楽」と「楽しい」は、似ているけれどまったく違う

「楽」と「楽しい」には同じ漢字が使われていますが、その中身はまったく別物です。

楽をする:できるだけ労力をかけずに済ませようとすること

楽しい:そこに関わりたい、やってみたいという気持ちが湧くこと

前者は「避けたい」から生まれる選択であり、後者は「やってみたい」から生まれる選択です。

だから、楽をするほど、楽しくなくなっていくのは当然のこと。
楽しいことには、少なからず「エネルギーを使う」という共通点があります。

旅を計画するとき、服を選ぶとき、文章を書くとき。少し悩んだり、迷ったり、工夫したりするからこそ、それが「わたしの時間」になる。

楽をして生きると、その過程をすっ飛ばしてしまうので、結果は手に入っても、心の記憶には残りません。

だからこそ、「ちょっと面倒」の中に、人生を面白くしてくれる種が潜んでいるのだと思います。

楽を手放すと心が自由になる

不思議なことに、「楽でいたい」と思うほど、心はどんどん苦しくなっていきます。なぜなら楽な状態を維持しようとするからです。

自由のように見えて、実は「楽じゃないほう」を選べないのです。

挑戦したくても、できない。
挑戦することは、楽じゃないからです。
すっかり楽でいることに慣れてしまって、動きたくても動けないのです。

「楽をする」のは一見楽なようでいて、実はずっと同じ場所に留まり続ける苦しさを抱えています。

また、「人に嫌われたくない」「批判されたくない」と思うあまり、自分の意見を言えなくなる。これもまた、楽そうに見えて苦しい生き方です。

ほんとうの自由とは、「うまくいくかどうかよりも、自分の心に素直でいられること」。つまり、たとえ面倒でも、自分の心がYESと言う方を選べることだと思います。

行動のエネルギーは消費しても、心は軽く自由になるのです。

楽をしない=自分の意志で動くことを選ぶ

「楽をしない」とは、ただ我慢や努力を重ねることではありません。ほんとうの意味で「楽をしない」とは、自分の意志で動くことを選ぶということだと思っています。

私はひとりで行動するのが好きです。
ひとりの時間そのものが好きというのもありますが、誰かと予定を合わせる必要がなく、ほんとうに行きたい場所へ行き、ほんとうに食べたいものを選べるからです。

気心の知れた相手ならいいけれど、そうでない場合、誰かを誘うのは少し勇気がいります。

断られるかもしれない、相手が乗り気じゃないのに気を遣わせてしまうかもしれない——そう考えると、「誘わない方が楽」と思ってしまう。

それでも、誰かから誘われるのを待つより、自分から誘うようになってから、日常がずっと楽しくなりました。

ひとりの時間と、誰かと過ごす時間をバランスよく選べる、その選択肢を持っていることで、人生がしなやかになった気がします。

また、興味はあるけれど少し緊張するイベントや講座に、一歩踏み出してみる。それだけで、世界は少しずつ広がっていきます。

心理学には「自己決定理論」という考え方があります。
人は、「自分の意志で選んでいる」と感じられるとき、幸福度が高まり、充実感を得やすいとされます。

逆に、誰かに合わせてばかりいたり、受け身で過ごしていると、どんなに楽でも満たされにくくなる。

つまり、行動の主導権を自分に戻すことが、人生を面白くする最大の鍵なのです。

自分から動くと、思いがけない出会いや偶然の出来事が生まれます。それは予定通りの安心感とは違い、人生に物語を生み出す瞬間です。

待っているだけでは、世界は変わらない。
でも、自分から一歩を踏み出すと、景色が少しずつ動き出す。

たったひとつの行動が、日常を「つまらない」から「面白い」に変えてくれるのです。

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