競わずに、わたしの最高を目指す

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競わずに、わたしの最高を目指す

競うって疲れますよね。
その理由のひとつは、きっと他人はコントロールできないからだと思います。

どれだけがんばっても、相手の努力やタイミングまでは変えられない。だから「誰かに勝つ」というゴールは、いつまでたっても手のひらの上に収まらず、気持ちが休まりません。

そして、そもそも私たちの本当の目的は「誰かに勝つこと」ではないはずです。そのことに気づいたとき、ふっと肩の力が抜けたのを覚えています。

比べることも、やっぱり心を疲れさせます。
自分よりすごい人が目に入った瞬間、それまでのやる気が一瞬にしてしぼんでしまうことだってあるでしょう。

仕事の成果、友人の暮らしぶり、SNSで見かけるキラキラした日常や成功……。
それらに触れるたびに、心がざわついたり、自分が小さく見えたりすることがあるかもしれません。

けれど、人生の主役は、他の誰でもない自分です。

誰かと競うのではなく、自分の“最高”を目指していくことができたなら──毎日はもっと軽やかで、笑顔が増えていくはずです。

今回は、「競わずに、自分の最高を目指す」という生き方について書いていこうと思います。

oto

この記事を書いた人:oto

東京を拠点に、明日がちょっと楽しみになるおでかけや日々のヒントを発信。Amazon Kindle総合ランキング2位『わたしをご機嫌にする休日』をはじめ、6冊を出版。Yahoo!ニュース エキスパートでは「おでかけ記事」を執筆中です。JFN系全国28局ネット「レコレール」に出演し、東京の穴場スポット紹介も。

目次

誰かと比べている暇なんてない

ゲーム感覚で競うのは私も好きだったりしますが、自分だけが勝手に誰かと競って疲弊したり、自分だけが勝手に誰かと比べて落ち込む。

そういう時間は、ものすごくもったいないなぁと思うようになりました。それは、目の前の大切な時間やエネルギーを、自分以外の何かに渡してしまっているようなものだからです。

そもそも、自分の人生に夢中になっているときには、比べる暇なんてないものですよね。夢中でやっているときは、他人がどれだけ先に進んでいようと、それほど気になりません。

比べることでモチベーションが上がることもやっぱりあります。誰かの背中が見えることで「私もがんばろう」と思えたり、学びになることも確かにあります。

けれど、心を疲弊させるような競争をするくらいなら、よく言われるように、昨日の自分より少しでもアップデートできるよう、少しでも夢に近づけるよう、時間を使うほうが、毎日に張り合いもあって、楽しくなります。

勝手に他人と比べたり、競うのは、結局のところ”他人軸”に振り回されているようなものです。それでは、自分の人生の主導権を手放してしまうことになってしまう。

だから私は、自分の人生のハンドルはしっかり自分で握っていたいと思っています。そして、自分の信じる方向へ、自分の足で歩いていきたい。

そのほうが、たとえ時間がかかってもずっと誇らしく、あとから振り返ったときに「よかったな」と心から思える気がするのです。

わたしの“最高”は、人それぞれ

SNSを眺めていると、華やかな暮らしやキラキラした日常が、まぶしく映ることがあります。「いいなぁ」と思わずため息がこぼれることもあるでしょう。

けれど、「その暮らしを、ほんとうに自分も望んでいるのだろうか?」を自分に問いかけてみると、案外答えは「いいえ」かもしれません。

隣の芝生は青く見えるものです。

私は今のところ、都会で暮らすのが好きです。
電車ですぐに行きたいところにいけて、素敵なカフェもたくさんあって、面白イベントもユニークな出会いも目白押しで……刺激を受ける環境にいると心がワクワクします。

一方で、とくに東京で生まれ育った友人たちは、むしろ都会を離れはじめている人も少なくありません。都会を離れることに安心感を覚える人もいれば、都会にいるからこそ刺激を受けて成長できると感じる人もいるのです。

そう思うと、「自分にとっての最高って、人それぞれなんだなぁ」としみじみ感じます。

だから、他人の「最高」を追いかけるのではなくて、自分にとっての「最高」を知り、そこを目指す。そしてたどり着いたら「最高」を更新していく。

そういう生き方ができれば、もっと自由に、自分らしくのびやかに生きていけるのだと思います。

競わないからこそ続けられる

続けるというのは、エネルギーを使います。
最初はやる気に満ちていても、その熱がずっと続くとは限りません。

とくに競争の中でがんばり続けるのは、一時的には燃え上がるようにがんばれても、途中で息切れしてしまう人が少なくありません。

それは、「誰かに勝つ」というのは、意識が他人に向いているからではないでしょうか。

誰も、「誰かに勝つ」ことが本当の目的じゃないと思うのです。本当の目的じゃないから「誰かに勝つ」ことを目的としたがんばりは苦しいし、続きません。

本当の目的は、「こうなりたい」「こう生きたい」という自分自身の願いにあるはずです。その願いに向かっているときこそ、努力は自分のためのものとなり、やる気が湧いてきます。

たとえばダイエット。
誰かの体型を基準にしてしまうと、自分の変化が小さく見えてしまい、「やっても意味がない」と感じてしまうことがあります。

けれど、昨日より少し体が軽くなったとか、一週間前より階段を楽に上がれたとか、そういう小さな自分の変化に目を向けると、不思議と続けられるものです。

「今日はたくさん歩いた!」
その一歩を認めるだけで、昨日の自分より前に進めたような気がして、「また歩こう」と思える。その小さな積み重ねが、気づけば大きな変化へとつながっていきます。

競争のフィールドを降りることで、自分らしいリズムを取り戻せます。そのリズムは派手ではないかもしれませんが、確実に自分を成長させてくれます。

おわりに──誰かに誇れなくてもいい

自分にとっての”最高”は、誰かから見て特別なものではないかもしれません。

自分を大切にしながら暮らすことが最高かもしれませんし、毎日たくさん笑って暮らすことが最高かもしれません。

他人の基準で評価されなくても、自分が心から「これが最高だ」と思える人生を歩んでいけるなら、きっとそれがいちばんの幸せではないでしょうか。

今日の一歩が、未来の自分をつくっていきます。たとえその一歩が、周りには気づかれないくらい小さなものでも、自分にとっての”最高”に向かっているのなら、その足取りはたしかなものになります。

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