取り入れてよかったと実感している習慣があります。それは「テレビのニュースを見ない」……というより、ほとんど見ないようにしていることです。
知らないことが増えて困るだろうか、なんて最初こそ思ったりもしましたが、もう何年もそうしていて、とくに困ったことはありません。むしろ「知らなくてもいいこと」に心を奪われずに済むようになりました。
ニュースは文字で目にするだけでも十分わかりますし、ネットを見れば世の中の流れも自然と入ってきます。ただ、テレビのニュースは映像や音声で伝わるぶん、メンタルへの影響が大きいのではないかと感じています。
朝は“音なしニュース”スタイル
朝はだいたい30〜45分くらいテレビをつけています。見ているのではなくて、朝のニュース番組をミュートで流しているという感じで、時折ちらりと画面に目をやりながら、朝食の準備などをしています。
楽しいエンタメニュース(時々スポーツニュースも)になったらミュートを解除。そんなふうまでしてテレビをつけているのは、天気予報とか、暮らしに必要な情報が手に入ることがあるからです。
わたしが見ているのは『ZIP!』。見出しをずらりと並べてくれるので、気になるところだけチェックします。音がなくても字幕だけでなんとなくわかるし、必要ならあとでネットで調べます。
「あ、つぎはネガティブなニュースだな」と思えば、無意識に画面を見ないで違うことをやったりするようになりました。
テレビのニュース番組をつけているのは、朝のこの時間くらいです。
ニュースをほぼ見なくなって変わったこと
以前は当たり前のように、朝のニュース番組を見ることから1日がはじまっていました。そして夕方には夜ご飯を食べながらポチッとテレビをつけて、そのままニュースをチェック。
そんな生活をやめて確実に変わったのは、以前よりも心にまとわりつくネガティブさがずっと減ったことです。
ここでいうネガティブさというのは、マイナス思考という意味ではなくて、自分を取り巻く世の中にたいしてネガティブな思いをもたなくなった、という感じ。
世の中をポジティブに捉えられるようになり、前向きに希望をもって毎日を過ごせるようになりました。
ニュースはどうしてもポジティブな話題よりネガティブな話題が多いし、不安を煽るような話題も多いです。なので、当然といえば、当然かもしれません。
結局のところ、私たちができるのは「自分にできることをやる」ことだけ。そのシンプルさに気づくと、心がふっと軽くなって、前に進む力がわいてきたのです。
そして、心がズドーンを重たくなることがなくなったのも大きな変化。
今でもたまに、うっかりネガティブなニュース映像を見てしまうことがあります。すると心が一気にズドンと重くなる。その瞬間、「ああ、昔はこの“ズドン”を当たり前のように受け入れていたんだな」と気づくのです。
日々の当たり前のなかにいるときには、その重さにさえ気づかないもの。離れてみてはじめて、心の軽さに違いを感じられるのかもしれません。
ニュースを見るか見ないかは選べる
人間が不安を感じるのは、防衛本能によるものだと言われます。不安を感じることで、「もしものとき」に備え、危険を回避しようとする。これは生きていくうえで必要な本能です。
同じようにネガティブな気持ちになるのも、防衛本能が働いているから。
こうして自分を守るための不安やネガティブであるけれど、行き過ぎると前に進めなくなることがあります。実際に「不安なときは間違った判断をしやすい」と言われることがありますし、私自身も経験から「たしかにそうだ」と納得できる部分があります。
ニュースを「見るか、見ないか」は、自分で選べることです。
もしニュースを見て心が重たくなるのなら、思い切って「見ない」という選択をしてもいいのだと思います。
そして、ネガティブに傾きやすい自分に気づいたり、未来にたいして不安が大きくなっているとき。そんなときは、テレビのニュースを見る時間を減らしてみるのも、心を守るひとつの方法かもしれません。
情報に振り回されるのではなく、自分に必要なものを選んで取り入れる。それだけで、心の軽さも、毎日の明るさも大きく変わっていきます。