著書『わたしの機嫌はわたしがつくる』でも紹介している「幸せは苦労してつかむもんじゃない」というのは、私自身がものすごくラクになった言葉です。
幸せになりたいのに苦労しなければいけない矛盾
「何かを手にいれるためにはがんばらなければいけない」──そう信じて生きてきた人は、きっと少なくないと思います。
私もそのひとりで、努力して何かを手にしたときの達成感が好きでした。あの瞬間の高揚感や充実感が、たぶん“ドーパミン的な幸せ”だったのでしょう。
けれど、どれだけがんばっても結果が出ない時期がありました。がんばっても報われず、焦って、またがんばって……それでもうまくいかない。気づけば、夜になるたびに涙が出ていたような気がします。
幸せになりたいのに、こうして毎夜泣いてしまうくらい苦しまないといけないなんて、どこか矛盾していますよね。
このことに気づいてから、無理にものごとを動かそうとするのをやめることにしました。思い通りにしようと力を入れすぎるほど、うまくいかないことが多かったから。
そうすると、なんでもラクに考えられるようになったんです。
そして、肩の力を抜いて「まぁいっか」と手放してみると、どこからともなく新しい方向からひょいっと幸せがやってきたりするのです。
苦しい=何かが間違っているというサイン
実際に何かを成し遂げている人は、私が想像もつかないような努力をしている。だからやっぱり、何かを成し遂げるにはがんばることが必要だし、うまくいかないのは、がんばりが足りないからだと、昔の私は思っていました。
けれど、何かを成し遂げている人のがんばりは、ただの努力ではなく、楽しいがんばり。がんばること自体が楽しくて仕方がないのです。
私は自身の経験から「大変である」ことと、「やりたくない」ことはけっしてイコールではないと気づきました。
やりたいことをやっていると、大変であっても、そこまで苦しくはありません。むしろ、その大変さの中にやりがいを感じることもあります。
だから、ものすごく苦しいときは、何かが間違っているのだと思うようにしています。目指しているゴールそのものが違うのかもしれないし、努力の方向性がずれているのかもしれません。
どちらにしても、潜在意識が「ちょっと違うよ」と教えてくれているのだと思うのです。
だから苦しくなったときは、一度立ち止まってお休み。自分の本音と静かに向き合う時間をつくることが大切だと感じています。
幸せは苦労のご褒美ではない
私たちが本当にほしいのは、苦労した先にあるご褒美のような幸せではなく、日々を夢中で楽しんでいるうちに、じわ〜っと溢れてくるような幸せではないでしょうか。
「〜〜したら幸せになれる」と考えていると、幸せはいつも少し先に逃げていきます。努力してもまだ足りない気がして、「次こそ」とまた頑張ってしまう。
まるで永遠に届かない約束をしているようなものです。
もちろん、何かを目指すのは楽しいことです。そこに向かう過程で張り合いが生まれるし、成長を感じる瞬間もあります。けれど、「がんばりの先にしか幸せはない」と思い込んでしまうと、今この瞬間を味わう余裕を失ってしまいます。
好きな音楽を聴いて心がふわっと軽くなるとき。おいしいものを食べて思わず笑顔になるとき。誰かと目が合って笑い合えるとき。そういう瞬間の連続こそが、わたしたちを幸せにしてくれます。
未来のためにがんばることも大切だけれど、今感じている小さな喜びを味わうことも同じくらい大切。「幸せはあとでやってくるもの」ではなく、「いま感じていいもの」だと気づくと、毎日がうんと明るくなります。
幸せは、心のセンサーが知っている
頭で考えた「幸せ」と、心から感じる「幸せ」は、同じようでいて違うことがあります。そして、私たちが本当にほしいのは、心から感じる「幸せ」なのだと思います。
だから、頭で考えた「幸せ」に向かう途中で苦しくなったのなら、やっぱり心が何かを教えてくれている。
たとえば、「この道を進めば正解」と思って選んだはずなのに、心がどんどん重くなっていくことってありますよね。まわりの評価や常識で考えると間違っていないのに、なぜか息苦しい。
その違和感こそが、心のセンサーのサインだと思います。
心はいつも、ほんの少し先の未来を知っています。理屈では説明できなくても、「こっちじゃない」「もう十分がんばったよ」と、静かに教えてくれるのです。
だからこそ、その小さな声を無視しないことが大切だと思います。




 
			 
			 
			 
			 
			 
			 
			