誰にでも、大なり小なりコンプレックスがあると思います。
顔のパーツや体型のこと、声や性格のこと、人によってその種類はさまざまです。表には出さなくても「ここだけは気になる」という部分を、ひとつやふたつ抱えているのではないでしょうか。
私自身にも、そんなコンプレックスがあります。
もちろん、自分で努力できるものなら改善を試みればいいけれど、努力しても変えられないものもあります。そうしたコンプレックスは、どれだけあがいても仕方がありません。
そう頭ではわかっていても、心のどこかで「どうにかならないかな」と思ってしまう。そんな経験は、誰しもあるのではないでしょうか。
私らしさであると受け入れるということ
私はそんな自分のコンプレックスに対して「仕方がない」と受け入れ、「これは私の個性だ」と捉え直すことで、少しずつ気にならなくなっていきました。
たとえば、私の声はかすれ気味で、「風邪ひいてるの?」と心配されることもあります。はじめて会話をする人に驚かれるんじゃないかとビクビクしていた時期もありましたが、今となっては「これが私らしさだ」と思えるようになりました。もし声を変えられるお薬が登場したとしても、私は飲まないでしょう。
そのほかにもいくつかコンプレックスがありますが、それらを全部ひっくるめて「私」なのだと思えるようになったのです。
もし、すべてのコンプレックスを総とっかえしてしまったら、私じゃなくなってしまうから……。
そうして「私らしさ」として受け入れられるようになったのですが、あるとき、その「受け入れ」をさらに上回り、一瞬にしてコンプレックスが「長所」に変わる出来事がありました。
一瞬でコンプレックスが長所になった
それは、とあるアイドルの方のひと言でした。
インタビュアーさんに「長所を教えてください」と聞かれた際、彼が堂々と答えた長所──それこそが、私が長い間コンプレックスに感じてきた部分だったのです。
思わず「えっ!」と驚きましたが、とても誇らしそうに語るその姿を見て、頭の中でガラガラと固定観念が崩れていったことをよく覚えています。
そっか、私が勝手にコンプレックスに仕立て上げていただけで、実はこれは魅力であり、自慢にすらなり得るのかもしれない。
以来、私はその部分を長所として捉えるようになり、「可愛い特徴」だとさえ思えるようになったのです。それまで、なるべく人に見つかるまいとしていた部分に、一瞬にして、愛着がわいたのでした。
コンプレックスは、自分の心の中で「これは長所なんだ」とラベルを貼り替えてしまえば、堂々とした魅力に変わるのだ──そのことを、私は彼から学びました。いや、彼にとっては、最初からそれはコンプレックスではなかったのでしょうけれど。
コンプレックスを気にしているのは自分だけ
さて、私には中学生くらいから本気で悩んだコンプレックスが、他にもあります。それは、おでこが狭いこと。
学生時代って、なんであんなに髪型の細かい部分まで気になるのでしょうね……。電車の中で学生さんたちが鏡を見ながら前髪を丁寧に整えている姿を見ると、思わず当時の自分を思い出します。
大学生になった頃には、おでこの髪を自分で剃ってしまったこともあります。美容師さんに「剃っちゃだめ!」と叱られたのも、今では笑える思い出ですが、そのときは必死でした。
「あんな髪型にしたいなぁ」と憧れても、おでこが狭いとできないスタイルがたくさんあるのです。
そんなある日、「おでこが広い人が羨ましい」とぼそっとこぼしたところ、友人がこう言いました。
「おでこが狭いなんて羨ましいよ!私、おでこ広くてすごく嫌!」
私は、友人のおでこが広いだなんて思ったこともありませんでしたし(いや、広いけれど、羨ましく思っていた)、同じように、友人は私のおでこの狭さに対して「おかしい、変だ」なんて、ちっとも思っていなかったのです。
コンプレックスを気にしているのは自分だけであり、コンプレックスに仕立て上げているのも、やっぱり自分自身なのです。
コンプレックスがあるほうが、より魅力的になれる
人はどうしても不足に目がいきやすいものです。
本当は自分にはいいところがたくさんあるのに、それらのいいところよりも、たったひとつのコンプレックスに気を取られて悩んでしまう。
けれど、そうした悩みに時間を費やすことで、すでに持っている輝きまで曇らせてしまいます。それこそ、もったいない話です。
自分には欠点に思える部分をどうしても長所だと思えないなら、それはそれでいいと思います。無理に「これが私の魅力だ」と思い込もうとして苦しくなる必要はありません。
でも、その分、「じゃあ別の部分をもっと磨こう」と発想を転換できたなら、人はもっと輝けるのではないでしょうか。欠けている部分があるからこそ、ほかの部分を伸ばそうとするエネルギーが生まれます。
だから私は、コンプレックスがある人のほうが、より魅力的になれるのだと思っています。
影があるから光に気づけます。そう考えると、コンプレックスは光をより際立たせる存在なのかもしれません。